あめのした

雑記帖

好きでいるということ  2019/12/15

誰かを好きでいるということは、恐ろしいことだと思う。

好きなものの持つありとあらゆる面を受けいれ、愛すことは難しい。
何か、若しくは誰かを好きであるためにそうしなければならないとも思わない。

何かを好きでいるという事は、大抵そのものの一部分を気に入っているというだけのことなのだと思う。

その「好き」が物に対する気持ちならば、それで十分なのかもしれない。しかし、その対象が人であるならば?

人は変わっていく。半年前に会った友達が最近ハマっていると言っていたものは、次に会うときにはもうその人に忘れ去られているかもしれない。少し前まで私に教わりながらたどたどしく使っていたソフトを、今彼女は私よりも使いこなしているかもしれない。
私は何も変われないのに。私はずっとここに居続けているのに、人は会うたびにどんどん先へ、私の知らない所に行ってしまっているように思われる。

下書き放出 2018/06/02

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令和最初で最後のセンター試験初日、土曜日の昼である。

特に書くことが思いつかなかったので、これまでに書いた下書きを供養しようと思う。

 

部屋の片付け

部屋を片付けた。

ーー日記 2018/06/02より

 

ーーで?というような内容である。もちろんこの後どう続けるつもりだったのか何も覚えていない。部屋の片付けという作業も、片付いている状態も決して嫌いではないはずなのにいつの間にか部屋が散らかってしまうことが不思議でならない。ミニマリストに憧れているのだが、それ以上に書類や書籍の収集癖が強いのである。

最近はkindleで本を読むことを覚えたが、紙の本(本は紙であるものだと思っているのでこの言い方はあまり好きではないが)を買うペースは変わらないため、結果として積読の増加につながってしまっている。

待っててジュリアン今読むから……。

 こんばんは。前回の更新から思ったよりも間をあけずにこの記事を書いています。

そういえばこのブログ、先日開設より2周年を迎えました。そのことを知らせるメールが届いたときはっきり言って私はびっくりしました。正直なところまだ2か月くらいしか書いていないような気がしていたので。

実際よく更新する方の2か月分にも満たぬほどの記事しか書いていないのでこの感覚はあながち間違いでもないのでは?と思いますが、もう少し頻繁に更新していきたいものです。とは言え素性をほぼ明かさず語れることなど多くはないので難しい……。

さて、今回は手帳について書き散らかしたいと思います。と言っても有用な手帳術などは知りません。

 

 ーー手帳について、あるいは秋の訪れ  2019/09/19 より

 

ーーこの書き出しで結局投稿できてないのが面白い……。おそらく手帳に人生のすべてを書き記すといったことを続けたかったのだと思う。

実際食事記録を二月ほど続けていたが特にメリットを感じなかったので、珍しいものを食べた時のみ書き記すように変更した。

あと、TODOリストを手帳に書くのもいいのですが手帳が「予定」「進行中」「記録」のすべてを一つにまとめる場所として相応しいのかどうかまだ分かっていません……。

 

 

以上。

新年に思う 2020/1/2


ーーーいつからだろうか、自分に対して諦めという感情を抱いているのは。


 昨日、2020年(令和二年)が始まりました。あけましておめでとうございます。


 年が明けたので、早速今年の目標やら予定やらを考えていたわけだが、ふと、「頑張ろうと思っていても、継続できるのは長くてひと月くらいだろう」「それに、これらを達成したところで何だというんだ?」と思っている自分がいることに気が付いた。そう思ってしまうと今目標を考え、それを達成しようと思うことが無意味なのではないかと考えてしまう。
 その結果、目標を立てるのをあきらめて寝てしまった。それが昨晩のことだ。


 「学習的無力感」という言葉をご存じだろうか。成功体験なき挑戦を繰り返すと、人は自分の能力を信じることさえできなくなってしまうらしい。(というような話だったと思うが、記憶違いであれば申し訳ない)
 高校受験、高校での部活、大学受験……どれも頑張った割には大した結果を残せなかったことが禍根を残しているのだろうか?


 以前もそう思って、まずは簡単なことから成功体験を積んでいこうとした。具体的には、ある実務系の資格試験に合格してみたり、有名な英語の試験で世間的にはまぁまぁ評価されるようなスコアを出してみたり、全くの異分野に手を出して一か月成果を残し続けてみたりした。


 だが、その結果、何か私が改善されたような、小さくとも何かを成し遂げたような感覚を得ることはできなかった。いつだって、私の思う「理想の自分」という形があって、それにそぐわない私を良しとしない感情が「死にたい」という形を持って、私を「自分」の内側から排除しようとしているように思う。


 どうやら私は、自分に出来ること(あるいは、出来たこと)はたいして価値のない簡単なことだと思い、自分に出来ないこと、自分以外の人に出来ることはとても素晴らしいことだと考えるらしい。
 これでは、幸せになりようがあるだろうか……。去年の私はこのようにぐるぐると悩んでいた。それを今やっと文章として綴ることが出来た。さて、今年の私はこの状況を打破できるだろうか。


 新年早々暗い文章を書いてしまったが、これが私の2019年の総括であり2020年の抱負のようなものである。


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とっくに冬。 2019/11/29

お題「ちょっとした贅沢」

今回もお題頼りになりますが、駄文を書き連ねていきます。


更新頻度が亀のよう、かつ不定期とは言えアクセス数がノンゼロなのは励み(記事を書くモチベーションには反映されていない)になっていたりします。ありがとうございます。


あまりに普段このブログに文章を書かないので、毎回自分はどんな文体でどんなことを書いていたかわからなくなっており、なんとも統一感のないものになっております。しかしまぁ、得てして人間とはそういうものなのではないでしょうか。


さて、しがない学生である私にとって、もっとも日常的な「ちょっとした贅沢」は、お茶です。

朝、身支度を終えて時間に余裕がある時は、前の晩に沸かしておいた麦茶ではなく、色々な種類のティーバッグから選んだ紅茶やハーブティーを持って出かけること。外出先で水筒を開けるたびに少し幸せな気分になります。特に冬は、寒さからつい自動販売機で「あたたかい」飲み物を買ってしまいがちですが、水筒にあたたかいお茶を入れておくと幾分か衝動買いが抑制されて節約にもなります(たぶん)。


休日に課題や勉強をするときのお供に、濃いめに淹れた紅茶を飲むこと。カフェインを摂取することによって覚醒効果を得ようとしてのことですが、効果があるのかどうかはよくわかりません。

休憩の時に、外国土産の素敵な缶入りの紅茶を入れること。茶葉はティーバッグよりも香りが立つのでポットで淹れると最高です。上手く淹れられるように色々なサイトを見て研究していますが、あいにくあまり敏感な舌をしていないので、いつも「おいしいなあ」という感想で終わってしまいます。

眠る前に、pHによって溶液の色の変わる、綺麗な色のハーブティーを飲むこと。私が今持っているのはマローブルーという種類のものですが、最近はバタフライピーというお花が気になっています。

どれも少しのお金と手間で実現できる、私のちょっとした贅沢です。


下手をするとあと三十余日で年明けという恐ろしい事実に今気づきました。
次の更新はいつになるかわかりませんが、なるべく早く書こうと思います。たぶん。
書き始めてみると楽しいのですが、書き始めるまでが長いので……。
最近インプットもアウトプットも怠っていたので久しぶりに1000文字くらい書けていいリハビリになったのではないでしょうか。いつもはMAX140字の世界の短文か事実のみを述べる文章しか書かないので中々長い文章を書くのは難しいです。


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