あめのした

雑記帖

note移行のお知らせ→やっぱりはてなに戻ろうかな?(2022年2月2日追記)

お久しぶりです。山時ゆきです。
実は一年ほど前からnoteで文章を書いていました。
はてなブログよりも性に合っていたようで、すっかりそちらばかりに投稿しているためこの際一本化しようと思います。
ゆるゆるとこちらのブログの記事をnoteに移行していって、半年後くらいにこのブログを非公開設定?削除?しようと思っています。
読んでくださっている方がいるかは分かりませんが、これまで本当にありがとうございました。
そのうちnoteの方のリンクを張っておきます。


どうぞよろしくお願いいたします。



2022年2月2日 追記

note運営に思うところがあるので、やっぱりはてなブログに出戻りしようか悩んでいますが、一応noteのリンクをはっておきます。興味を持っていただけた方読んでくださるとうれしいです。

note.com

近況 +「君の名前で僕を呼んで」感想

 お久しぶりです(わぁこれ毎回言ってる気がする~)

 このブログを始めた目的は確か文章力向上であったが、最近noteを始めてからついそちらに書くことが増えた。そのためブログの更新がおざなりになっていた。

 どちらのコンテンツも自由度が高いため、使い分けが難しいところではあるが、これからはこちらのブログは鑑賞した作品や読んだ本の感想をメインにしようかと思う。今はそう思っていても、おそらく一年とたたないうちに気が変わると思うが。

 さて、自分は普段あまり映画を見ないほうである。コロナ以前は映画好きの友人に誘われて映画館に行くこともあったが最近はご無沙汰である。しかし先日、Twitterである作品がPrime videoのセール対象になっているとの情報を得た。前々から話には聞いており気になっていた作品だったのですぐにレンタルして観た。Prime会員であるにも関わらず、ほとんどPrime videoを使用していなかったので知らなかったが、レンタルすると以後30日の間いつでも視聴を開始でき、一旦視聴を開始してから48時間の間自由に再生できるというシステムであった。私は映像作品を見るのが得意ではなく、(好き嫌いではなく能力の話である)一度に長い作品を鑑賞すると疲れてしまうのでこのシステムはありがたかった。実際3回に分けて観た。

 さて、その作品とは「君の名前で僕を呼んで」である。洋画のタイトルの邦訳と言えば原題の雰囲気を損ねていることで名高い(と思っているのは私だけかもしれない)が、このタイトルはなかなか粋だと思った。なお原題は”Call me by your name"である。直訳であった。

 この作品のストーリーを一言で表すと、「ひと夏の恋」である。北イタリアのどこかにある避暑地で、初めから夏が終われば別れなければならない恋だと分かりながらも互いに惹かれ合い、互いを求める主人公二人がたまらなく美しく、切ない物語であった。私が恋愛の機微に疎いせいかもしれないが、あとから知ったところ私が思っていたよりずっと早い段階から二人は惹かれ合っていたらしい。

 そして、何よりも私をこの作品へと惹きつけたのは、画面構成の美しさと数々のモチーフの緻密なちりばめ方である。オリヴァーがエリオの父親の「試験」を受けるシーン、二人が並んで自転車をこぐシーン、エリオがアプリコットを持っているシーン、オリヴァーが電車に乗って旅立つシーン……。そのどれもが絵画のように完成された色彩と構図のバランスを持っていた。鏡への映り込みや周りに置かれたものもよく計算されているのだろうなという印象を受けた。そして、作中には父親の研究対象である彫刻やエリオの趣味であるクラシック音楽などが繰り返し登場する。また、これはこの映画の難しいところでもあるが、エリオはトリリンガルであり、英語、フランス語、イタリア語を巧みに使い分けている。なかでも凝っているなと思ったのは、エリオがガールフレンドと話すときにはフランス語を、オリヴァーと話すときには英語を使っていたところだ。このことにより、エリオのオリヴァーとのひと夏の恋は日常から切り離されたものとして描かれている、という印象を受けた。

 まだ語り足りないがネタバレをしすぎるのもよくないと思うので、このあたりでやめておきたい。フランス語のリスニング能力が向上したら(そんな日がくるのだろうか?)また見返したい映画であった。

引きこもり徒然

 閏年の2月29日という、4年に一度のボーナスタイムを睡眠と読書に費やしてしまい、いよいよ3月を迎えてしまった。本来ならば梅の花でも見に行こうかという時期だが(多分開花時期ですよね?若干不安)コロナウイルス騒動のせいで外出するのが億劫なので、こうして内容のない様な文章を書いている。


 元々出不精な質で、外出の予定があると前日の夜には面倒くさいなと感じるような人種なのだが、終わりの見えない半引きこもり生活を半強要されてしまうと気が滅入ってしまう。


 公共の図書館ですら閉館されるとの噂を聞いたので、急いで開いているところに本を借りに行った。他人と極力接触しないように手早く貸出上限まで本を選んで帰宅した。今日は暇なのでその一部を紹介しようと思う。

・ボーイミーツガールの極端なもの 山崎ナオコーラ

www.kinokuniya.co.jp


 確かめずに借りたが、どうやら短編集らしい。初めて手を出す作家さんなので少し不安があったが、一つ目の短編を読んだ限り好みだった。サボテンと人間関係を絡めた作品なのでサボテンに少し興味が湧いた。この引きこもり生活が今月以降も続くようなら、寂しくなってサボテンを買ってしまうかもしれない。

・本当の翻訳の話をしよう 村上春樹 柴田元幸

www.switch-store.net

 まだ読んでいない。ネットなどで度々タイトルを見かけるので、気になってはいた本。
ときどき無性に村上春樹さんの作品を読みたくなる時がある。


・居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書 東畑開人
www.igaku-shoin.co.jp

 この本も、今となっては覚えていないが、ネットの海のどこかで見かけて以来、Amazonの「欲しいものリスト」に入れっぱなしになっていた本である。



 紹介終わり。ブログにみっちりと本の感想を書くの、楽しそうだとは思うのだが他人の創作物に頼らず文章を書く練習を積むのが先決かなぁと思ったり。

 
 私のAmazon欲しいものリスト/欲しい本リストには今残り9万円分相当の本が眠っているのだが、果たしてそれらが全て消化される日は来るのだろうか……。というかまだ積読がたくさんあるからそれらを減らしてから購入するべきなのではないか。

 以上。はやく事態が沈静化しますよう。

好きでいるということ  2019/12/15

誰かを好きでいるということは、恐ろしいことだと思う。

好きなものの持つありとあらゆる面を受けいれ、愛すことは難しい。
何か、若しくは誰かを好きであるためにそうしなければならないとも思わない。

何かを好きでいるという事は、大抵そのものの一部分を気に入っているというだけのことなのだと思う。

その「好き」が物に対する気持ちならば、それで十分なのかもしれない。しかし、その対象が人であるならば?

人は変わっていく。半年前に会った友達が最近ハマっていると言っていたものは、次に会うときにはもうその人に忘れ去られているかもしれない。少し前まで私に教わりながらたどたどしく使っていたソフトを、今彼女は私よりも使いこなしているかもしれない。
私は何も変われないのに。私はずっとここに居続けているのに、人は会うたびにどんどん先へ、私の知らない所に行ってしまっているように思われる。