あめのした

雑記帖

ツンデレ考

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「わたしは君のことなんてちっとも好きじゃないんだよ」と好きな人に対して強がってみるというのはいったいどんな気持ちなのだろう。私は幸か不幸かこれまでに一度もそのようなセリフを口にしたことがないのでわからないが、わからないなりに考えてみようと思う。


 大前提として、わたしは君のことが好きなのだ。同じ空間にいようものなら1番のさびが終わって2番のさびが始まるかどうか位の間隔で視界に入れないと気が済まないし、君と一緒に写った写真はきちんとスマホのギャラリーで別のフォルダに分けてあるし、君からもらったものはたとえ飴玉ひとつだろうとすべて覚えている自信がある。それなのに、そんなにはっきりと恋しているのに、他の人になんて取られたくないと思っているのにどうしてか君本人に対してはそのことをずっとしられたくないと願っている。AちゃんにもBちゃんにも妹にも君のことが好きなのだと打ち明けていて、たくさん君の話をして、どうしたら付き合えるんだろうだなんて相談すらしているのに君には知られたくないんだ。冗談だとしても、わたしが君を好きでいるなんて君に思われたくはないんだ。


 惚れたら負けだ、と思う。さきに好きになったほうの立場はどうしても弱い。好きになってもらえるなら少しくらいの無理は平気でできてしまう。好きだよって言われてから意識するようになった、なんて話す人のことをいいなあ、ずるいなぁと思う。好きになった人の言うことは何でも正しいと思ってしまいがちだし、お願い事何でも聞いてあげたいと思ってやまない。と同時にそんな自分をバッカみたい、と冷静に見ている自分の視線が痛い。恋にうつつを抜かしていることが恥ずかしい。だから友達だと思ってくれているはずの君に対しては対等に対等に接そうと思う。


 これから先が素直でないのがわたしのわたしたる所以である。わたしは恋に慣れていない。人を恋することに慣れていない。だから崇拝している人間に対して対等だと思っているふりをするだなんていう器用なことはできない。その結果が「君なんて好きじゃない」だ。相手を好きじゃない、と否定することによって自分が優位に立ち、バランスをとっているつもりなのだ。だが悲しいことに「好き」かどうかという判断基準を相手に示すことはすでに自分が恋という迷路の中に立っていることを告白することに等しい。わたしの恋の命運は君がそのことに気づけるくらい聡いかどうかにかかっているのだ。


 わたし、もといツンデレっ子はかくの如く精神的に未熟でありそれゆえとても可愛らしいものである、という結論を(蛇足であることは承知の上)ここに付け加えておく。

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